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つむぎの館

Author:つむぎの館
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11/22

かわいいあの子は大島娘

Category : 日記・雑感
20111119-1.jpg

この羽織をみた瞬間に、行ったことはないから正確さには
欠けるけれど、南のほうの強い日差しのイメージがふぁっと浮かんだ。

これはほぼ毎日着物で働く館スタッフ、有坂さんがお母様から
譲られたという大島紬の羽織で、なるほど大島紬ってこういうことか。
と勝手に自分のなかで納得するものがあったので写真を撮らせてもらった。

ちなみに着物は結城紬で、布の質感の違いがそのまま、気候風土の
奄美大島vs北関東と感じられるのが面白い。
大島紬も昔は手紬糸で作られていて、それが明治以降
生糸に変わったのは、生産量が増えたからと理解していたけれど、
ただ生糸使いといってもやっぱり色々あって、大島紬は特別シャリ感が
あってヒンヤリするのは、湿気が多くて温かい土地で作られる
ものだからなんじゃないか。

そりゃそうだよ、と思われるかもしれないけれど、
そういう話も以前に聞いたことはあった気がするけれど、
この羽織を見てはじめて、大島紬は南の島の織物なんだ!
と実感してイメージができて、俄然興味が湧いてきた。

花を六角形でかたどる赤と、葉の緑色が鮮やかで、
日に焼けた健康的な南国の女の子が、ぎらぎら照りつける強い日差しのなかで
着ていたら、ほんとうにかわいいと思う。

結城は北関東の冷たくて乾燥した気候の中で着るのに合っている。
明治~昭和にかけて縮が流行したのは、北関東にも訪れる高温多湿な時期を
どう乗り切るかに端を発するともいわれるので、明治に入って技術が進歩して
加工の自由度が上がったことで、その土地により適したものが
それぞれに作れるようになったのかもしれない。

正確に起源をたどるのは無理なことで、どうして大島紬が今の形になったのか、
どうして結城に手つむぎの技術が残ったのか、色々な要因が関係していて、
最終的には「わからない」ことが残るけれど、布をみて、それが作られる
土地のことが想われるのは、本当に面白い。

なんで動力が使えるようになったのに、手でつむぎ続けたのか、
色々と説はあり、現在までその技術が残っているのは重要無形文化財に
技術指定を受けているからというのは一つの事実だけれど、それだけでは
その指定を受けるまで残っていたのはどうしてなのかはわからない。

その「わからない」ことが残るのも大事なところで、それがずっと頭の隅に
ある、みたいな状態だと、発見する、という経験ができるようになる。
発見はそれを使う生活に奥行きと立体感をもたらしてくれる。
それでいてわからないことは発見するほど増えるので、終わりはない。
それが歴史のあるものを使うことの面白み、
着物を着ることの面白み、の一つ。

sekine
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